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東京高等裁判所 昭和36年(う)2048号 判決 1961年10月31日

被告人 小林愛則

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

たゞし本裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

原審の訴訟費用全部並びに当審の訴訟費用のうち鑑定人及び証人黒岩武次、同荒木千里、同半田悠に支給した分を除く部分は、被告人の負担とする。

理由

中込弁護人の控訴趣意(事実誤認)及び笹内弁護人の控訴趣意のうち事実誤認に関する趣旨は要するに、原判決は被告人が右手拳をもつて名取一平の右側顔面を一回強打し同人を路上に昏倒させる等の暴行を加え、よつて間もなく同人をして右顔面打撲による脳蜘網膜下出血のため死亡するに至らせたと認定しているが、被害者名取一平の死因と認められる脳蜘網膜下出血は被告人の殴打その他の暴行に起因するものではない。一平は現場に転倒し間もなく死亡したが同人が転倒したのは被告人が殴打したためではなく、同人が現場に到る以前から脳蜘網膜下出血を惹起していたか、またはその前駆的症状を呈し、酩酊状態と相い俟つて、現場に至る途中転倒するなどして致命的出血を起して転倒するに至つたか、あるいは現場で自ら転倒して致命的出血を惹起し死亡するに至つたとみるべきであるから原判決は事実を誤認したものであり、それが判決に影響を及ぼすことが明らかであるというのである。

そこでまず被害者名取一平が転倒したのは被告人の殴打によるものかどうかの点につき考察すると、(中略)

右の創傷は被告人の殴打そのものにより生じたのではなく、その殴打により一平が転倒した際に生じたとみるべきである。

以上のとおり一平の右顔面の創傷が被告人の殴打によるものでないとして、被告人の殴打の程度につき考察する。(中略)

比較的軽く殴打したのであり、前示被告人の供述のごとく平手で顔面のどこかを殴打したとみるべきであろう。

そうして被告人の死因が脳蜘網下出血であることは証拠上明らかであるので、この出血が起つた原因につき考察すると、(中略)

今直ちに動脈瘤その他の病変が存在したために被告人の殴打により直ちに脳蜘網下出血を起したと断ずることは躊躇せざるを得ない。そうして上野正吉、黒岩武次の鑑定書によれば、一平が右顔面を下にして舖石上に倒れ右顔面部を打撲したことにより脳蜘網膜下出血を惹き起す可能性も十分にあると認められるので、結局被告人が一平の顔面を平手で一回殴打したため、同人は舖石上に転倒して右顔面を強打し、その外力により脳蜘網膜下出血を惹き起して死亡したとみるのが相当である。それゆえ、工藤達之の意見書の右出血が全く外力とは関係なく内因性の病変により起つたとする見解並びに弁護人らの一平が現場で被告人の行為と関係なく脳蜘網膜下出血を起し、そのために転倒し、或は自ら転倒しために出血を起したという主張も認容し難い。

そうすると、原判決は被告人が一平の右顔面を手拳で強打し、その打撃による脳蜘網膜下出血のため死亡させたとしており、被告人の殴打が一平の死亡という結果を生ぜしめたことにおいては前記認定と同一ではあるが、被告人が直接脳蜘網膜下出血を惹き起す程度の打撃を与えたとするのは当審の認定に比べて被告人に対し不利益な事実を認定したもので、本件犯罪の情状に著しく差異を生ずるから右事実の誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであり、論旨は理由がある。

(その余の判決理由は省略する。)

(裁判官 加納駿平 河本文夫 大田夏生)

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